高木創の神学生日記

主事の働きを徒然なるままに紹介していました。3月31日をもって更新は終わりにしていましたが・・・。

「伝道説教を考える」

伝道説教をいかに語るかー。

先日の伝道学の授業のテーマである。この学期、一番「燃えた」授業かもしれない。先生の言葉を聞き漏らすまいと必死でノートを取る。

主事時代、伝道説教はいつも迷いに迷った。そこにくるであろう学生の「乾き」とは何か、を問い,
祈り続けた日々。「クリスチャンホームに育った俺には、本当のところで届く言葉がないんじゃないか?」そんな不安がよぎる中、いつも思いなおした。「いや、何よりこの俺がどんなに福音を必要としているか、そこに向き合えば必ず共有できるものがある。」

どういった「乾き」に答えるか。模索しつつけてきたものが、伝道学の授業で取り扱われ、されに、深みと広がりが与えられる。ああ、この視点があった、この渇きがあるんじゃないか。ここからも説教を語れるんじゃないかー。
自分だけにとどまらず、かといって自分とは離れない、福音の響きを授業で学ぶ。

卒業後のドデカイ課題が残されたまま、「語りたい」そう心燃やされた授業―。

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おごり

先日、KGK主事時代に大変お世話になった「友」に出会った。
当時、彼らは学生だった。一人は私が主事になったころ信仰を持ち始めたばかり。もう一人は初めて会ったときまだ19歳の学生。

今は私も主事ではないし、彼らだって仕事をしている。だから「友」という言葉が一番しっくりくる。

2人は私に食事をご馳走してくださった。「創さん、学生じゃないですか(笑)」と言って私の食事代を受け取ろうとしない。。
かつての学生におごってもらったわけだ。

不思議さとともに、心にジンとくるものがある・・・。
なぜかって?

だって、彼らがあのころより、またひとまわり大きくなったように見えるから。
帰りの電車で思わずにやけてしまった。いかんいかん・・・。


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神学校の友人

ギリシア語の授業ががはじまる直前の話。
前日の予習でわからないところがあったので、友人O兄に聞く。彼とは以前同じ仕事をしており、今は机を並べている。すると・・

(O兄)「あれ、ノートを忘れた。おかしいな。」
そういって、かばんをひっくり返しだした。
聞いていると、どうやら一度忘れたことに気がついて、取りに戻ったのに、また忘れたらしい。

忘れ物の天才である。

そういえば、以前、家の鍵を忘れて入れなくなり、学園内の砂場のベンチでたそがれている彼をみたことがある。

昔からの彼のそんな性格が、僕は結構すきだったりする。
笑いのねたには事欠かない神学校の教室。

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なんと羊が・・・

東京キリスト教学園名物。
勉強が忙しくなったとき、時間の流れをゆっくりにしてくれる存在。
詩篇23編をリアルに思い出させてくれる語り手。
心のオアシスでありながら、しかし、近づきすぎるとちょっと怖い・・
愛すべき仲間。
そう、羊である。

悲しいことに、先日2頭とも死んでしまった。
1頭が寿命で、もう一頭は先に逝った仲間を追うように逝ってしまったらしい。
「寂しさ」が原因だったのだろうか・・・。

彼らのいないグラウンドはわたしには少し緑が濃すぎる。
SN3E0209.jpg
2009年夏 2頭と1人で 

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『キリスト教綱要』読書会

10月から神学校の同級生とカルヴァン『キリスト教綱要』の読書会を始めた。
いわずもがな、キリスト教文書の古典中の古典。キリ神生にとっては必読の書とも言ってよい。

まだ2回しかしてないが、面白いことにカルヴァンを読むと、授業で学んだことがいつも話題に出る。
それは、『綱要』を離れて話しているというわけではない。『綱要』を囲んで話したときに、不思議と個々の授業がつながらざるをえないのだ。

そういうわけで、私にとっては一つ一つの授業がこの読書会で一つになっていくような感覚を覚えている。


最後に、こぼれ話。読書会について聞いてきたある大学生との会話。
(私)「カルヴァンを読んでるんだよ。」
(大学生)「ああ、あのモウリョウですか?!」

綱要(こうよう)と読むのだよ・・。がんばれ20才。
時々、こういう笑いにほっとする・・・。

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